サイコパス上司の下で働いた半年間。そしてシンガポールに戻ってきた!

仕事

約半年ぶりのブログ更新。この半年間、色々あって、いつの間にかブログを書くこともやめてしまった。久々に再開したので、半年間のまとめを書こうと思う。

去年の9月に日本支社の立ち上げに行き、自分の今までの仕事とは違うことをたくさん任された。同僚に仕事を教え、上司と一緒に営業に行き、ホームページの立ち上げ、ヘッドハンティングをして新しい社員の面接までやった。毎日毎日仕事の事で頭がいっぱいで、刺激的な毎日だった。

【サイコパス上司】
新しい事にたくさんチャレンジした反面、今までにないストレスを味わった。上司は人の感情を考えずに、数字だけを見て人を判断するサイコパス。毎日毎日同じ質問をぶつけられていた。「どうしてアイツの数字は悪いんだ」「一回アイツと話してどこが悪いか洗い出せ」

人の営業成績なんて1日でグンっと上がる訳がない。周りがどう言ったって、やっぱり結局は本人のやる気次第だ。トップの成績の人たちと同じように、家で仕事をすれば確実に成果は出る。しかし、だからと言って人に同じ事をするように強いるのはおかしい。人によって家族がある人もいるし、価値観も違うからだ。

オペレーションを全く分かっていない上司が、マネジメント側から言われた目標数値を達成するために、数字しか見ないのはどこでもよくある事かもしれない。シンガポールオフィスでは、数字のことなんて言われた事がなかったので、最初は何度も言い返していた。しかし、なんせ上司はサイコパス。何を言っても話を聞いてもらえたことがない。当時の体調は最悪だった。生理不順、口内炎、肌荒れが常に続いていた。

ちょうど当時は「バカと付き合うな」だとか「頭にきてもアホと戦うな」などの本が話題となっている時だった。この上司とまともに話をするよりも、時間を無駄にせずに、必要最低限だけをやろうと思い、「一応」上司に言われた事を下にも伝えるも、ただ表面的な形をとっていた。

【自分も知らぬ間にサイコパスになっていた】

サイコパス上司の下で働いて、四ヶ月ぐらいが経った頃、だんだん上司の扱いに慣れてきていた。何を指示されても、表面上では上司に協力姿勢を見せつつも、自分自身のストレスをコントロールする技術を身につけていた。その頃には体調も落ち着き、新しい友達も出来て、私生活も楽しくなり始めた頃だった。

日本オフィスのホームページを作るために、知り合いのITスタートアップの会社の社長さんに声をかけた。たまたま知り合いになった方なのだが、社長なのに全く気取らず、謙虚で話しやすい人だった。ホームページ立ち上げの話には快く承諾をしてくれた。早速上司に話をして、ミーティングをしようという事になった。社長さんに時間を作ってもらい、ミーティングをする予定だったものの、上司が予定があるという事でドタキャンをしてしまった。社長さんには事情を説明し、自分と社長さんだけで段取りの話をまとめて、上司に話をする事となった。

後日上司に話をすると「分かった。じゃあ一回ミーティングしよう」と言われた。いや、この前ドタキャンしたでしょ!と思いつつも社長にスケジュールを連絡し、2回目のアポを取り付けた。

しかし、まさかの2回目のドタキャン。上司は「重要なミーティングがあるから」と謝りもなしにキャンセル。社長さんにも謝り、自分と社長さんだけで2回目のミーティングをした。

このままでは話は進まない。上司には選択肢を提示して、決断しやすいように説明をした。上司はその選択肢は一切無視し、作りたいホームページのイメージ、ホームページを作るまでの日程や希望金額を提示して、社長さんがそれでできるか確認するように言われたのだ。

そこで止めておけばよかったのだ。上司に言われた事全てに従う必要なんてない。しかし、当時の自分は社長さんと仲良くなっていたため「友達感覚」があった。それがいけなかったのだ。「きっと分かってくれる」という軽い気持ちで、その話を社長さんにしてしまった。社長さんからの返答はこうだった。

「そちらの会社のトップはおかしいのでやめときますね。ドタキャンをして、自分のやり方だけを押し付けるのは論外です。」

衝撃だった。まさか断られるとは思わなかった。そこで気づいたのだ。完全に公私混同をしていた。友達に頼む感じで、大きなビジネスをやろうとしていたのだ。普通の顧客相手であれば、絶対にそんなことはしないだろう。上司の言っている事が「すごくおかしい事」である事に気付かず、自分自身がサイコパス思考になっていたのだ。

結局、社長さんとの関係はギクシャクした。帰国直前には話をすることはできたが、「常識がないやつ、仕事ができないやつ」という印象を持たれていた事は間違いない。

この一件で、かなり反省をした。ビジネスにおいて、公私混同はしない事。上司に言われたおかしい事は自分自身で食い止めることを学んだ。自分の軽い考えで、信頼を失う事があるのだ。この事はきっと一生忘れない。

【ストレスついに爆発】
「数字数字!!」と毎日のように言われ続けた同僚達は、最初の数ヶ月は感情を抑えていた。毎日定期ミーティングが三回あり、グループ内で発表する資料の作成にかなりの時間を費やされていたが、文句も言わずに黙って仕事をしていた。

みんな心の中に爆弾を抱えていたのだと思う。ある日一人の同僚が上司の文句を言いはじめると、次々と文句を言う人が出てきた。ついには同僚が集まれば、仕事の文句、上司の悪口を言うという状態になった。自分も便乗して、上司の愚痴をこぼし、オフィス全体で上司対部下の構造が出来ていた。ある意味で、部下同士の団結力は深まっていた。

2月中旬、帰国日の二週間前になっていた。その頃、シンガポールに一時帰国をしてからまた日本に戻り、駐在期間を半年間延長という事になっていた。しかし、帰国二週間前になっても、ビザの問題や住居の問題などがあり、駐在延期が確定ではなかったのだ。三月から日本にもシンガポールにも住む場所はないし、どこで働くかもわからないという宙ぶらりんの状態で、会社に対するイライラが募っていた。

そんなある日上司に呼ばれ、いつも通り「アイツの今月の数字はなんで悪いんだ」という話があった。いつも通りに対応し、仕事に戻ったが、その日に限りたくさんの指示があった。もはや自分の仕事ではないにも関わらず、アレをやれコレをやれと言われ、挙げ句の果てには「アイツの数字が悪い件で、本人と話したのか」と呼び出しがあった。しかもその後ももう一回。自分の仕事ではない事をやらされ、同じ日に3回も同じ話をされる事で時間を奪われ、我慢の限界だった。話を始めると止まらなかった。

「あなたは私のことを信頼していない。同僚の誰のことも信頼していない。あなたが私を信じないなら私もあなたを信じない」

「今の社内の状況は最悪だ。みんなストレスも溜まっていて、雰囲気が良くない。」

六ヶ月の募りに募った不満とストレスが爆発して、全てぶちまけた。個室で大声を出した。涙も鼻水も止まらず、グチャグチャの顔で、叫んだ。怒りで上司に向かって叫んでいた。こんなこと人生で初めてだ。

一方の上司はどんな反応だったかというと、一切表情を変えなかった。今起きていることが目に入っていないかのように、いつもの穏やかな口調で続けた。相手の感情に全く惑わされない。まさにサイコパスだ。

上司:「でも数字は大事だよ」

この言葉でプチンと糸が切れた。六ヶ月ずっと我慢していた一言を叫んだ。

自分:「数字のことばっかり言うのやめろ!!!!」

その後も上司は普通の口調で、数字をマネジメント側に見せる事がいかに大事かを話し続けたが、もう自分の耳には入っていなかった。二月末でシンガポールに帰国し、駐在延期はしない旨を伝えた。

【シンガポールに帰国】

シンガポールに帰るまでの2週間は本当に忙しかった。急に帰国が決まったので、今まで会えなかった友達に会ったり、帰る準備をしたりと怒涛の1週間だった。同僚には送別会を開いてもらった。半年間一緒に仕事をしてきて、仕事中にくだらない話をしたり、上司は頭がおかしかったけど、良い同僚に恵まれたと思う。

そんなこんなで、シンガポールに帰ってきた。帰ってきた初日は、デスクの上にたくさんの手紙や写真があって、みんなに祝福された。やっぱりここが自分の居場所なんだと思うことができた。

シンガポールに帰ってきてから3ヶ月が立つ。こっちに来てから、ぼーっとすることが多くなった。ストレスは全くなく、いつも通りの日々を過ごしている。そのせいか、日本にいる時より頭を使うことが少なくなった。このブログはアウトプットの機会を増やすために、自分の考えをまとめたり、将来どんな道に行くかを考えるために、もう一度再開しようと思う。

 

 

 

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